【共感と同情】なぜ同情心は人を不快にするのか?同情に隠された心理

こんにちは
SmileHouseの妙加です。

人は共感がうまい人に対して心を開きやすく、信頼感を持ちやすいので

コミュニケーション力をUPさせたい人は共感力を磨く必要があります。

ですが、共感しているつもりで「同情」になってはいないでしょうか?

同情は相手にあまり喜ばれないどころか、不快感を抱かせてしまう関わり方です。

今回は共感とは全く違う同情とはどういう関わり方?何故人を不快にさせるの?などをまとめました。

同情ってどういう感情?

共感

同情は、相手に対して自分自身の感情を持つことです。

困っている人、不幸な生い立ちをしてきた人、
辛いことがあった人などに対して

「かわいそう」や「助けてあげたい」と思ったりすることです。

親切心や相手を思って言ってる人もいますが、

同情をされた側は好意的な気持ちになることは少ないでしょう。

同情心を感じている、

「かわいそう」とか「助けてあげたい」

というのは、たいていの場合、

そう感じている側の自己満足や一方通行な思い込みだからです。

例えば

「生まれた時から家は貧乏で両親ともに仲が悪く、愛情不足。

非行に走って波乱万丈な人生を送ってきた」

という話を聞いて

「かわいそう」と感じるのは同情です。

確かに、本当に辛かったかもしれないですが、

「かわいそう」は共感ではありません。

そして同感もしていません。

自分から見て、

不幸に見える人、感じる人に同情することで、

相手をかわいそうな人にしたてて
自分の方が恵まれているということを実感しようとしている心理の現れなのです。

簡単に言うと、

自分と相手を比較して優劣をつけているわけです。

または、誰かに優しくしていることで
自分の価値を確かめたり価値を上げたいという欲求の現れです。

ですので、同情した側は気がつかなくても、
された側は不快を感じることが多いのです。

同情は自分の心の写し鏡「投影」

同情という気持ちに影響しているのが「投影」という現象です。

投影というのは、自分の中にある気持ちや感情を相手にうつしだすことです。

例えば、

人に叱られた時に自分は「悲しい」と感じるのであれば

人が叱られているのを見れば「あの人いま悲しいだろうな」と感じます。

実際のところその人が「悲しい」と感じているかどうかはわかりません。

また、身体に障害のある人が「かわいそうと思われたくない」と

言っているのを何度か聞いたことがありますが

これは「かわいそう」とたくさん同情されてきたんだなというのが感じ取れます。

「身体に障害のある人はかわいそう(不幸)だ」と思っている人は

障害のある人を見ると、その人に対して

「不幸だと感じているんだろうな」と思い、

勝手に「かわいそう」と思い込むのです。

これも実際のところその人が自分自身のことを「不幸」と
思っているのかどうかわかりません。

つまり、相手がどう感じているかではなく

自分の感情や価値判断を相手にうつし出して

あたかも「相手もそう感じている」と錯覚をしている状態です。

ちなみに、自分の気持ちを相手に投影し、同情の気持ちが湧くのは

自分自身に「どんな感情もOKだ」と受容せず、

感じてはいけない気持ちがあると思っているからです。

例えば、身体の不自由な方や、生い立ちが複雑な方に

「自分の方が優れている」とか「自分の方が恵まれている」

というような優越感を感じたとしても、

「そんなふう思っちゃだめ」というように

その感情を抱くこと自体がダメだと思い込むと

私たちは「感じてはいけないと感情」を感じるたびに、

「そんな風に感じてはいけない」と自分を抑圧して蓋をしていきます。

この抑えられた気持ちが「かわいそう」というような

違った形に変換され、相手に映し出して表現してしまうのです。

優越感から生まれる同情

上のは投影から生まれる同情でしたが、
優越感からも同情は生まれます。

私たちは、人と会うと無意識に相手と自分を比較しています。
これは、本能的にあることなのでみんなが無意識にしています。

ですが、この比較をした時に「人と自分で優劣をつける」という

価値判断があると同情が生まれます。

例えば、何か仕事でミスをして落ち混んでいる時に

「つらいよね〜。わかるわかる」と言った風に
え、ほんとにわかってるの?と言いたくなるような

薄っぺらい言葉をかけてきたり、

こちらの話もあまり聞かないままに
アドバイス(という名の自論)を展開し始めたり。

ちょっと上から目線の対応を取ってしまいがちになります。

「この人は仕事でミスをする人、自分は出来る人」
という憐れむような心の根幹があり、

簡単に言えば、同情と一緒に「自分の方が立場や能力が上」という

上下の関係性を作り出しています。
(本人は全く気づいていないと思いますが)

アドバイスも相手の悩みや気持ちに寄り添っているのではなく
「自分ならこうする」「こうするのが正しい」

というような自分目線で価値観の押し付けのようなものが多くなります。

その人にとって大切なのは相手の悩みではなく

「良いことを言っている自分」という見え方だからです。

本当のところでは相手のことはどうでもよくて
自分の欲を満たすために上から相手を評価しているので

同情された側は
見下したように見てくるなと感じて嫌な気持ちになるのです。

罪悪感生まれる同情

罪悪感からも同情は生まれます。

例えば

自由奔放に好き勝手に過ごしてきたけれど
急に家族が重病を患って看病が必要になった

というときに
「自分が好き勝手して心配をかけたから病気になったのでは」
と感じる気持ちです。

自分があのときこうしていれば、これをしなければ、
もっと自分が気をつかえるところがあったのではないか・・・

と自分を責める気持ちが同情を生み出します。

「ごめんなさい」と感じる気持ちを
償うかのように、必死で看病をしたりするんですね。

このような場合は、今目の前にある事実を受け止められない、
認めたくないという気持ちから生み出されたりするのです。

家族が病気になったことを
事実として受け止めると、罪悪感を持つ必要がないので

償いではなく、思いやりの気持ちが生まれてきます。

怒りから生まれる同情

喜怒哀楽という言葉があるように
「怒り」という感情は私たちが生まれ持っている感情です。

大抵は、怒りを感じてもそのままに周りに当たり散らさずに

うまくコントロールしながら暮らしていますが、

抱え込めないぐらいの怒りや

耐えられないこと、我慢できなかった時に
反射的に周りの人に発散してしまうことがあります。

暴言を吐いたり、暴力を振るったりです。

ですが、私たちは周りの人に怒りをぶつけると大抵は

相手の関係が壊れるんじゃないか、
相手を傷つけたんじゃないか、

というような気持ちになり、罪悪感を感じます。

怒りをぶつけたのは自分なのですが、

「相手にかわいそうなことをした」
「あんなに傷ついていたら、かわいそうかもしれない」

というような感情になったりするのですね。

相手をかわいそうなことをされた存在にして
謝ったり、労わる気持ちを持つことで

自分のしたことを受け止めずに
償なって自分を保とうとするのですね。

同情は「相手の境界線」を踏みこえる

共感

共感は相手の感情に寄り添うこと
同情は相手に憐れみの目を向けること

だから、同情する人は相手から好意的に思われにくいのです。

同情心から相手に対して

「どうにかしてあげないと」
「助けてあげないと」

と湧き出る気持ちは大抵

  • 自分が気持ち良くなるためにアドバイスをする
  • 自分がいい人でいるために相手の世話をする

という自分本位の行動なのですが、

これは相手の境界線を踏み越えて行動することになるので
相手の自尊感情を傷つけてしまいます。

中には、「私ってかわいそうでしょ!」と
相手の同情を誘って、境界線をこえさせようとしてくる人もいます。

(属にいう”かまってちゃん”ですね)

どちらにせよ、同情は建設的でお互いを尊重した人間関係を
築いていくのは難しい関わりなのです。

境界線をひけないと人間関係は混濁する

境界線というのは「私」と「あなた」を区別して

自分の問題(責任)と相手の問題(責任)をきちんと分けることです。

例えば、目の前にいる友達が不機嫌だとしても、

不機嫌なのは友達の問題で、
自分が不機嫌なわけではありませんね。

(自分が明らかに謝罪しなければいけないような場面は別として)

境界線が曖昧だと、
目の前の友達と自分の感情の区別がつかず

  • 友達が不機嫌なのは、何か自分がしてしまったのだろうか?
  • 友達が不機嫌だから、なんとかしなければいけない。

というようなことを感じて、
相手の問題や感情に責任を取ろうとしてしまいます。

また、

  • お前(相手)が不機嫌だから、こっちまで不機嫌になった!

と、自分の状態を相手のせいにする人も境界線を引けていません。

これは、「不機嫌に感じている自分をどーにかしてほしい」という、かまってちゃんタイプです。

ことわざに

「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」

というのがあるのですが、まさしくそうで、

人に対して、

  • どれだけ親身になって話を聞いても
  • どれだけ愛情を注いでも
  • どれだけ手厚いサポートをしても

相手の問題を決めてあげることはできないし、
相手の代わりにしてあげたり、生きてあげることはできないんですね。

それは「相手の問題(責任)」だからです。

ですが、境界線を曖昧にして

「なんとかしてあげなきゃ」
「助けてあげなきゃ」
「助けてもらわなきゃ」

みたいなことをするのは、

例えると

「なんでお前は水を飲まないんだ!」

と相手の口元に水を無理やり持ってったり、

「なんで水飲ましてくれないんだ!」

と、相手に水を飲ましてもらおうとしたり、

「いらない」と言ってる相手に
「なんで?なんでいらないの?必要でしょ?」

と押し売りしたり、

自分のことなのに、
「なんで〇〇してくれないの?」

と相手に迫ったりしているようなものなのです。

されてる相手からすると自分のことを全く尊重されていません。

文字にするとそんなことしないわ〜と思うんですが、

実は境界線が曖昧な人は多くて
境界線をこえる人、侵入を許している人は

お互いに無意識なことが多いです。

逆にきちんと境界線が引けている人は、

むやみやたらと相手に同情したり相手の問題に踏み込みませんし、

自分の領域にも踏み込まさせず、自分の責任で生きています。

境界線をしっかり守るには

どんな自分も自分で受け入れて
自分自身のことを誰よりも自分が尊重して、大事にすることが大切になります。

まとめ

同情された側の多くが不快感を感じる理由は何となく理解していただけましたか?

実は同情は優越感を感じたり、
自分がいい人に見られたいという欲求の現れなんですね。

この感覚を抜け出すには、

・自分自身に対して抑圧している感情を「感じてもいい」と許可を出す
・自尊心や自己肯定感を高める
・自分の境界線を明確にし、自分の人生に責任をもつ

などが挙げられます。

相手に視点をむけ、共感するコミュニケーションを心がけてみてくださいね。

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SmileHouseスタッフの妙加(たえか)です。 仕事に追われつつドタバタと記事を書いていますが、がんばって子育てに役立つ情報を更新していきたいと思っています。 最近はランニングとあんこと半身浴にハマっています♪