「共感する」って本当のところどういう関わり?コミュニケーションで大事な共感のポイントまとめました

こんにちは
Smile Houseの妙加です

みなさん、子育てに限らず
コミュニケーションを取るときには

「相手の話に共感することが大事だ」
というのは耳にしたことがあると思います。

子どもの話に共感してあげてくださいね
というのも何度かこのブログで書いています。

私たちは、自分の話を共感して聴いてもらえると
相手に「受け入れられた」と安心し、

信頼を抱いていくんですね。

だけど、「共感する」って実際のところどういう関わりなのでしょうか?

振り返ってみると、普段からどのぐらい自分は人の話に
共感して聞いているな〜と感じますか?

改めて考えてみると「共感」って意外とあやふやに
捉えている方も多いのではないでしょうか?

今回は人との
コミュニケーションで大事な共感とは?についてまとめてみました。

ぜひ子どもとの関わりでも参考にしてみてください。

共感とは??

共感とは

共感の認識

共感という言葉を辞書で調べると

「相手と同じ気持ちになること」
「相手の意見や感情をその通りだと感じること」
「相手の気持ちを自分の気持ちのように理解すること」

などが書かれています。

ざっくりいうと
「あなたの気持ちわかります」ということでしょうか。

何か話をしているときに
真っ向から否定されるより

聞いている側も同じように感じて
理解してくれると嬉しいですね。

共感力は子育てだけではなく
人とのコミュニケーション全てで必要な能力で、
実は私たちに生まれつき備わっている能力です。

人を見ていて
「コミュニケーション能力が高いなぁ」
と感じる人は共感力も高い人が多いですね。

もちろん、共感力は自分の意識と
努力で伸ばしていくことは可能です。

情動的共感と認知的共感

大きく分けると、共感には
情動的共感と認知的共感という2種類があります。

情動的共感

情動的共感はその人と同じ気持ちや感情になりきる力です。

楽しい気持ちの人がいると、自分も楽しい気持ちになる
悲しい気持ちの人がいると、自分も悲しい気持ちになる

といったように、感情移入して、

相手の考えや感情に対して
情的につながった反応をすることです。

映画やドラマを見ていると感情的になって、
涙もろい人は情動的共感が強いといえます。

認知的共感

認知的共感は他人の視点から物事を認知する力です。

相手の立場に自分が立った時に、周りの人からどう見えるか?や
どのように受け入れて、理解して、どんな感情がうまれるのか

ということを推測して、
相手の考え方や感情を知的に認識することです。

どちらかが欠けていると?

情動的共感が、心による情的理解
認知的共感が、頭による認知的理解

という解釈ですが、コミュニケーションの中では
どちらも大切な力です。

両方とも同じように発達していれば、
一番いいかもしれませんが、
やっぱり人には得意不得意もありますし、

環境や職業によって伸びやすい力というのがあるので
一方の方が得意という人も多いです。

極端な例で紹介すると

・情動的共感が強く、認知的共感が弱い

困っている時になんとかしてあげたい!と思ったり
一緒に悩んでくれるかもしれませんが、

今何が必要なのか、
どういう状況なのかを理解するのが不得意だと

的はずれな手助けや、
自分勝手な援助をしている・・・

というようなことが起こりえます。

情はあるけど洞察する力が弱いということです。

子どもがお腹が痛くてうずくまって泣いていた時に
一緒に痛いね痛いね

と一緒になって苦しむけれど、
その先はどうしたらいいのかわからない!
というケース。

子どもの「お腹が痛くて辛い」という気持ちは
共感してもらえ受け止めてもらえますが、

どうしてお腹が痛くなったのか?という原因や
病院に行くか否か、今家でできることは何か?

ということを判断するのは遅れますね。

・認知的共感が強く、情動的共感が低い

何か困った時にその心のメカニズムや、問題解決の方法を
見事に言い当てることはできるけれど

人をもののように捉えて、淡々としていて
相手に温かく寄り添う反応は見られないということが起こりえます。

洞察はするけど、寄り添う力が弱いということです。

子どもがお腹が痛くてうずくまって泣いていた時に
原因は、夕飯かな、

じゃあこの後○○というような症状が出る可能性がある、
病院に行くとしたらこの時間は・・・

と状況やお腹が痛いからつらい、治したいという状況は理解しても
子どもの「いまつらい」という感情に

寄り添う配慮が少し足りないかもしれません。

極端な例ですが
この共感は対極にあるので、どちらかに極端に偏ると

「まったく状況は理解できないけど、とにかく情だけは厚い人」
「分析、洞察は得意だけれど、冷たい・冷酷な人」

という人物像が浮かんできます。

環境によっても変化する

共感する力は私たちが生まれ持っている力ですが、
環境によっても変化していきます。

例えば認知的共感は相手の立場に立ち
理解することなので

とてもお金持ちの家に生まれて

欲しいものはなんでも買ってもらえて
常に送り迎えをしてくれることが当たり前だと

一般的な生活をしている人の立場が推測できないので
悩み相談を受けても共感しづらくなります。

逆もそうですね。

一般的な生活をしている人が、お金持ちの人の
悩みを聞いても共感しづらいものです。

また、とても恵まれていて
周囲に配慮する必要がない環境で育つと

相手の立場に立って物事を考える必要性を感じないため
認知的共感は育ちにくいといえます。

傲慢で自分が正しい!というような振る舞いを
している人なども認知的共感が弱いといえますね。

仕事によっても変化する

仕事によってもどちらか一方が育ちやすい環境や
職業というのはあります。

情動的共感があると、人との情的交流ができます。

知的な議論だけでなく、心の繋がりを感じるには
情動的共感が大きな役割を果たしていくわけです。

それを生かして、
保育士や教員、介護士、カウンセラー、美容師といった接客業、
芸術家や職人などは情動的共感が多く求められます。

心の繋がりや感性が大事な職業です。

「心の繋がり」と聞くとなんだか
情動的共感が良い!と思うかもしれませんが、

共感力に良し悪しはありません。

情動的共感が強いとやりにくさを感じやすい
職業ももちろんあります。

認知的共感が強い方がやりやすい職業としては
経営者、弁護士、警察官、消防隊員、外科医

などがあります。

状況を把握して判断したり行動を求められる職業は
毎回毎回、情に脆かったり、感情的になりやすい人は

しんどくなってしまいますね。

良し悪しや優劣ではなく
人とのコミュニケーションをとる際の

共感力にも種類があるんだなという感じで
捉えていただければ良いなと思います。

共感は「わからない」が大前提

「相手と同じ気持ちになる」と言葉で表すと
簡単な表現ですが、実はこれはとっても難しい事でもあるのです。

十人十色という言葉があるように
人は10人いれば10通りの価値観があって、

10通りの捉え方、感じ方があります。

なので、同じものを見ていたとしても、
同じ出来事に遭遇したとしても、

全く同じに感じ取ることはできないんですね。

理論的には、他人の感情は他人のもので、
それを確認する方法はまだ実在していません。

この、「私」と「あなた」は違う人。
私はあなたのことがわからない。

という大前提が心から相手のことを共感するために
とっても重要になってきます。

わからないからこそ

「完全に同じ感情・気持ちになることはできないけれど、
限りなく近い感情・気持ちになる。」

という相手の心に寄り添う関わりの中で

「あなたは今こういう気持ちなんだね」と
あたかも自分の気持ちのように
相手の気持ちや状態を理解する気持ちが芽生えます。

そして、こちらがどれだけ相手に共感を示したか、
相手の気持ちを理解したのかではなく、

相手が
「この人は、自分の気持ちを理解してくれる」
「この人は、信頼のできる人だ」

と感じることで共感は成立します。

「あなたの気持ちわかります」は共感?

一般的なイメージとして共感は
「相手と同じ気持ちになること」という

捉え方をされているので、
「わかるー!」や「私も!!」

ということが共感だと認知されがちですが
こういう「あなたの気持ちわかります」というのは

捉え方にもよりますが
これは「同感」や「同情」と言って、
共感とは似ているようで違うんです。

(共感と同感と同情は次の段落でまとめていきます)

もちろん、相手との元々の信頼関係にもよりますが
自分が悲しみのどん底にいるときに

「気持ちわかるよ〜」
と言われたときに

「今自分がどれだけつらいかわかるはずがない」
というような気持ちが芽生えたことはありませんか?

この「あなたの気持ちわかるよ」というのは
共感のようで、共感ではないんですね。

今の場合だと
「(私は)あなたの気持ちわかるよ」

と、主語が自分になっています。

共感しているようで、
自分の感情や気持ち、価値判断の話にすり替わっているんですね。

これは無意識にかなりの人がしているんじゃないでしょうか?
(私もよくやってます。「わかるわかる」って言ってます汗)

共感は「(あなたは)今悲しいんだね」と相手の気持ちや感情に
焦点を当てて、ただただ寄り添い話を聞くことです。

共感と似ている「同意」「同情」

共感同感同情

上で共感とよく似ている言葉に「同感」が
あるというのを紹介しました。

「わかる−!」「私も!」ってやつです。

最初に言っちゃうと、
これがダメなわけではないし、

この「同感」が必要で大事な場面もあります。

ただもう一つの「同情」は、
コミュニケーションの質としては

あまり喜ばれるものではないと
言われています。

まずは知識として知ることと、
自分の普段のコミュニケーションを振り返ってみてください。

そして知っていると、意識していれば自分で選んで
コミュニケーションを取れるので

ぜひ参考にしてくださいね。

共感と同意と同情

共感

共感は上に述べたように、
相手の気持ちや感情に焦点を当てて話を聞くことです。

ここが1つのポイントなのですが
「相手と同じ意見でなくてもいい」ってことです!

そうなんです。
共感は、私と相手は違う人。

というのが大前提にあり
お互いが違うことを尊重しているので、

違う意見で全然OKなんです。

同じ気持ちになっているかどうかは
なんら問題なく、

限りなく相手に寄り添い、
自分のことのように捉えて

相手の気持ちを組むことです。
だから主語が相手になります。

「あなたは今そう思っているんだね」

と、相手の感性や価値観を肯定して
尊重して受け入れることです。

同感

同感というのは話の内容(コンテンツ)に同意することです。

私も、同じ気持ち。
私も、同じ意見だよということ意思表示していることになります。

同感は、相手に今話している内容に
「自分も同じ価値観を持っています」と言うので

共通の趣味や、好きなものの話だと
抜群に話が盛り上がるかもしれません。

でも必ず同感できない場面にも遭遇してきます。

共感というコミュニケーションが苦手で、
同感するのか、しないのかという

選択肢しか自分の中にないと、

同意(賛同)できない場合は

同意しない(否定)、受け流す(無視)、
自分に嘘をつく(ごまかす)

などの対応をして、

意思表示をしている人が
多いみたいです。

人間関係でストレス感じやすい人は
自分の共感力はどうかな?と振り返ってみると
良いかもしれません。

同情

同情は、相手に対して自分自身の感情を持つことです。

困っている人、不幸な生い立ちをしてきた人、
辛いことがあった人に対して

「かわいそう」や「助けてあげたい」
と思ったりすることです。

親切心や相手を思って言ってる人も
いますが、

「同情するなら金をくれ!」
とむかーしのドラマであったように
(ご存知でしょうか?汗)

同情はあまりされた側は
好まないことが多いです。

同情心を感じている、
「かわいそう」とか「助けてあげたい」

というのは、たいていの場合
感じている側の自己満足や

一方通行な思い込みなことが多いです。

例えば
「生まれた時から家は貧乏で
両親ともに仲が悪く、愛情不足。

非行に走って波乱万丈な人生を
送ってきた」

という話を聞いて
「かわいそう」と感じるのは同情です。

確かに、本当に辛かったかもしれないですが
「かわいそう」は共感ではありません。

そして同感もしてないです。

自分から見て、不幸に見える人、感じる人に
同情することで、

相手をかわいそうな人にしたてて
自分の方が恵まれているということを実感しているんですね。

簡単に言うと、
優劣をつけているわけです。

または、誰かに優しくしていることで
自分の価値を確かめたい・・・価値を上げたい

という感情です。

なので、同情した側は気がつかなくても、
された側は不快を感じることが多いのです。

(同情も後で段落でまとめます)

共感と同感について

共感と同感

まずは混同しやすい共感と同感について
紹介していきます。

どんな人、どんな価値観でも共感はできる

私たちは、自分の話を肯定的に聞いてもらうと
自分を受け入れてもらっているように感じるので

嬉しい気持ちになります。

人と会話していて
真っ向から否定されると

いい気分にはなりませんね。

話の内容ではなく、自分の存在そのものを
否定されているように感じてしまう人もいます。

でも、だからといって話の内容によっては
同感ばかりができるわけでもありませんし、

同感しなくてはならないということもありません。

人はみ〜んな違う価値観や感性を持っているので
逆にいうと、分からなくてもOK。

自分の価値観がどうなのか、
自分の考えがどうなのかを述べる前に

まずは相手の存在や価値観、感情を尊重し、
また、相手とは違う自分の考えや感情を

伝えることも認めて自分のことも尊重している状態の
コミュニケーションの取り方です。

極端な話、相手のことが嫌いでも、
全く価値観が違う相手でも、

なんだかウマが合わないな〜と思っている相手でも
共感をすることは可能です!

「私はそういうふうには思わないし、
あなたの気持ち、感情はわからないけど、

あなたは○○と感じるんだね。」です。

ちなみに
「私はそういうふうに思わないし、
あなたの気持ち、感情はわからないけど」

は言わなくて大丈夫です。
心の声にとどめておきましょう。

これは相手に嘘ついたりごまかしたりしているのではなく
「私」と「あなた」をしっかり分けているだけのことです。

同感ばかりだと幅が狭まる?

自分「○ちゃんってアイス好き〜?」
友達「好き!」
自分「私も大好きなの!」

同感しました。アイス大好き!
これはこれで会話が弾みます。

「どんな味が〜?」とか「どこのアイスが〜」とか。

ですが同意できない場合は
どうしましょう。

自分がアイス嫌いだったらどうでしょうか。

「あ、そうなんだ・・・私は嫌いだなぁ。」

って否定しますか?

「そうなんだ!美味しいよね」

って無理やり(自分に嘘をついて)
同意しますか?

「そーなんだ。それでさ〜」

ひとまず流して
違う話題にしますか?

本当は好きじゃないけど
好きだよ〜って言うのも気がひけるし

かといって否定するのも
無視するのも・・・って困ります。

「同感」は相手と同じように感じることなので
違った場合はできないんですね。

また、自分が同感ばかりのコミュニケーションを
使っていると、相手も同感を求めてくる人が集まってきます。

(不思議なものですが・・・)

または、「わかる」「一緒」「私も」という
同感で作られた関係性が多くなってきます。

それでずっとやっていると
だんだん違う意見が言いづらくなって

ストレスに感じてしまう人もいるようです。

どういう関係性を作る?

職場や友人の中に「イエスマン」や「ゴマすり」というような
人がいれば、注目してみると、その人たちは「同感」を

たくさん使っていると思います。

ある程度はそれも必要なんですが、
使いすぎる、または上司には同感しかしない

というようなことをしていると
実は周りから信頼されにくいんです。

上司の言うことになんでも「はい!」「そう思います」
っていってるわけですから・・・。

ただ、上司は自分の言うことに賛同してくれて、
気分良く感じる人もいるかもしれません。

友人関係でも、自分に対してなんでも
同意してくれる友達は、気が合うと感じるかもしれません。

だけれど、同感のコミュニケーションをする人は
相手が「同感」する情報や発言を無意識に選んでしています。

相手が本心で言っているのか
合わせてくれているのかは、

確かめないとわからないことなのです。

共感、同感のいろんなパターン

共感同感パターン

実際、共感と同感の違いはなんなのかを
例にたとえてイメージしていきます。

感情と行動に注目する

友達が、
「会社でのストレスがつらくて、それを解消するために、買い物依存症になった」
と話してきました。

共感と同感のイメージとしては、
共感は「感情・事実」
同感は「行動」を想像してみてください。

この場合、
「買い物依存症になるほどのストレスでつらかったね。」
というのは共感になると思います。

友達が強いストレスを感じていた(事実)、
それをどうにか解消していた(つらい、しんどいという感情)

ここに自分の価値観はなく、
友達の感情に寄り添っています。

「しんどかったら、買い物しちゃうよね〜」
「買い物ってストレス発散になるよね!」

は同感になると思います。

「ストレス発散のために買い物をする」
という行動に焦点が当たっていて、

その行動に自分は賛同します(私もストレス発散に買い物をする)
という意思表示をしています。

感情と考え方に注目する

「毎月生活が苦しくて心がすり減っちゃうんだよね。
しんどいよ〜。
働いてたら、裕福に暮らせるものでしょ〜」

と、言ってきました。

共感は「感情・事実」
同感は「考え方」

というふうに捉えてみます。

この場合
「感情・事実」→心がすり減っている、しんどい
「考え方」→働いていたら、裕福に暮らせる

「心がすり減っていて、しんどい状態」というのは
友達が感じている事実で、感情ですので、

これに善悪や正しい間違いは存在しません。

なので、
「いま心がしんどい状態」というところが

共感ポイントかなと思います。

「働いていたら、裕福に暮らせる」というのは
その人の考え方や価値観なので、

同感ポイントかなと思います。

「ほんと、そうだよね〜(同感)」
「そうかな?どうしてそう思うの?」

というような会話に続けやすい部分です。

そうかな?という方は、
自分はそう思っていない、というのを示しています。

相手に質問をして
興味を持っているように捉えることもできますが、

いま題材にしている「共感」というのからは外れます。

また、自分が正しい!と思っている人だと
ここから「働いているからといって裕福に暮らせるものではない」

と相手に自分の考えを押し付ていく人も出てきそうですね。

共感は相手の心や感情を聞くときに効果的

共感効果的

実際、どういうときに共感して
どういうときに同感するのか

どっちが良い、悪いというのはありません。

ただ、相手の悩みや感情を聞くときや
何か悩みに対して解決のきっかけをみつけたいときは

共感の方が、オススメです。

共感は自分を客観的に見やすい

例えば、友達が
「職場の先輩がとっても嫌な人だ」という
相談をしてきました。

共感の例

友達「職場の先輩にめちゃくちゃ嫌な人がいて、毎日嫌な気持ちになる。」
自分「よっぽど嫌な気持ちになったんだね」

友達「そう。自分は何もしないのに、いつも偉そうに指示だけは出してくるんだよね」
自分「口だけなのが嫌なんだね〜」

友達「そうそう!まぁ確かに私の仕事なんだけれど、もう少し
言い方とかあると思うんだよね。ああいう言い方されると嫌われてるのかなって思う。」
自分「言い方がきついから、嫌われてるんじゃないかって不安になるんだね」

友達「そ〜。できればもう少し優しい言葉遣いをして欲しいんだよね。」

みたいな流れでしょうか。

同感の例

友達「職場の先輩にめちゃくちゃ嫌な人がいて、毎日嫌な気持ちになる。」」
自分「へー!嫌な人なんだ。いるよね〜そういう人。」

友達「本当に!偉そうな言い方で指示ばっかりしてくるんだよね〜。
ああいう言い方を平気でするって、どうかと思うわ」
自分「言い方って重要だよね〜。なんか偉そうな人いるもんね」

友達「他の人も偉そうって嫌ってるし、どうしようもないし。
やめてくれたらいいのに〜」

みたいな流れでしょうか。

何を言っているかは大して関係なくて
ポイントは話のどこに着目しているかです!

ポイント

共感と同感のどこが違ったのかというと、

共感は「友達の感情や事実」に焦点を当てています。
同感は「職場の先輩の存在や言動」に焦点を当てています。

「先輩が嫌な人」は友達の解釈や判断です。
なので、先輩が本当に嫌な人かどうかは確かめようがありません。

嫌な人だと感じている友達の気持ちは否定せず尊重するのですが、
もしかしたら自分と先輩はめちゃくちゃ気が合う可能性もありますよね。

(というか、実際に先輩はこの場にいないので、
今ここでどれだけ話してもわからないことです。)

なので、先輩が嫌な人というは事実ではなく、
友達の解釈や受け止め方という捉え方です。

友達が「毎日嫌な気持ちになる」と感じていることは事実です。

だいぶ整理できてきました。

事実かどうかわからない→先輩が嫌な人

事実→友達は先輩のことを嫌な人だと感じている。
毎日嫌な気持ちになっている。

「その先輩が実際にどういう人か」は関係なく
「友達がどういう感情を持っているか」を尊重します。

先輩が本当に嫌な人なのかどうかを検証する話し合い
(いつ、どんなことを言ったのか、どういう振る舞いをしているのか)

という事実の有無は議論しません。

なので、友達が「事実をどう受け止めているか」というのを
尊重して返答しているんですね。

こういう関わりは、聞いてる側の価値観が会話に混ざらないので
自分自身のことを客観視しやすいのです。

「あの人が嫌なのではなく、きつい言葉遣いが嫌だ。
もう少し優しい言葉遣いで接してほしいと思っている。」

というのが今回の流れの友達の話でわかったことです。

実は、先輩という存在ではなく
先輩の言葉遣いという振る舞いに不満を感じていたというのは

他人にはわからないので、友達が自分自身で見つけるしかないんですね。

私たちは、自分の感情や価値観を無条件で認められて受け止めてもらえると
嬉しく感じて、もっと話したくなります。

たくさん話して吐き出すことによって、心が軽くなれば
スッキリして、プラスに物事を考えたり捉えやすくなります。

話を聞いている側はただただ共感して「聞いている」だけで
悩み事が解決していったりするんですね。

それは、「私とあなたは違う人」という大前提の他に
「すべての感情は感じてOKなんだ」という自己受容や

「相手が何を感じているのか?」という想像力や感性、
そして、「自分が何かをしなくても、相手は問題を解決していける」という

相手への信頼があって成り立つ関係性です。

こういう姿勢で話を自然に聞ける人もいれば、
かなり意識しないと難しい人もいます。

この差の1つが「どんな感情を感じてもいいんだ」という自尊感情が
自分に対してどれだけあるか?が関わっていると言われています。

これとは逆に、同感の焦点は
「先輩という存在、人柄、言動」に焦点が当たっていました。

お互いが「先輩は嫌な人」というのが共通認識での会話です。

友達からすると「嫌な人がいる」と言ったことに対して
「嫌な人なんだ!」と同意してもらえているので

もー、ヒートアップですよね(笑)
おそらくこの先は先輩がどれだけ嫌な人なのか!?
という会話がされていきます。

お酒を飲みに行って永遠と同じ話をする
っていうのがまさにこれですね(笑)

で、とりあえず話したけど
なにも解決していないというか

そもそも何話したっけ?(笑)
みたいな翌日を迎えるわけです。

いーや、それは違う!と同意せずに意見を述べると

自分「いやいや、それは決めつけすぎ!
もしかしたらいいとこあるかもしれないよ!」

みたいなことになりますね。

そしたら
友達「実際会ってみたらわかる!!」

みたいな感じで価値観のぶつかり合いが始まるわけです。
これも別に何も解決はしないんですね・・・。

ただ、これにももちろんプラスの効果はあります。

自分を客観視するというのは、少し気持ちにゆとりができないと
難しいのです。

不満や怒り、悲しみというような感情や
全く話せる相手がいなくて、とにかく聞いてほしい!というような

気持ちが一杯一杯の時にまずは、感情や気持ちを
一気に話して落ち着くのが先という場合は

同意が効果的な時もあります!
(私も同じような経験したことあるから、すっっごい気持ちわかる!とか)

なので、やっぱり状況に応じて選べると
人とのコミュニケーションがスムーズに進めやすいと思います。

同感は意思表示した責任がある

同感意思表示

共感と同感どちらも大事なのですが、
共感の方が心理的にも奥が深く、

本当の意味で共感する力をつけていくのであれば
まずは自分自身と向き合ったり

人と関わる時は
意識していく必要がある場合が多いと思います。

なので、私たちは割と簡単にできる「同感」を使うことが
多いのですが、この同意することは

自分の意見を述べるのと同じような責任を伴います。

共感は責任がない!というのではなく、
同意は「私も賛成です」という意思表示と同じですという意味です。

なので共感したつもりで、同意していたら
自分の知らないところで話が大きくなっていた

なんてことも起こり得るのです汗

さっきの「偉そうに指示してくる嫌な先輩」の話ですが
そこで

「そういう人いるよね〜」とか
「そりゃひどい言い方だね〜」とかで

「先輩=嫌な人」に
賛成の意思を示したとします。

友達が自分の意見に賛成してくれた!と思ったら
「先輩が嫌な人説」を悠々と話出すでしょう(笑)

友達からすると、偉そうな言い方をする先輩に非があり
自分は間違っていない、正当だと思っているので、

なおさらです。

でももし、
友達がうっかりさんで
「○○も嫌って言ってたんですよ〜」

なーんてなったら・・・。

自分は全く先輩には会っていないし
関係のない問題なのに

先輩が聞いたらもちろん心象は悪くなりますし、
周りの人も、「○○(私)さんも先輩を嫌って思ってるんだな」

っていう認識になります。

これ、割とあるあるなんですね。
自分の知らないところで、自分の意思が広まってることって。

ただ、最初に同感して意思表示をしているので
実際には、「私も先輩は嫌な人だと思っている」と
言っているのと同じだけの効力があります。

意外と言ってしまっている、
共感のように思えて 同感に近いのが

・ひどいー!
・ありえない、おかしい
・それ普通じゃないよね

などです。

口が軽い相手には実はちょっと気をつけたい
言葉シリーズかもしれません。

共感は、誰かにはできるけど、誰かにはできないってことはなく、
どんな時にも意識すればできます!

相手の価値観、世界観と同じにならなくていいんです。
相手の価値観、世界観を尊重しましょう。

そうすると、自分自身も無理なく
相手も気持ちよく、でも理解し合えるという

人間関係を作り出していけます。

どうして「同情するなら金をくれ?」

同情

さて、ここでちょっと話を変えて
同情について書いていきたいと思います。

同情は相手から好まれないという話をしましたが
どうしてなのか?というのを

同情が生まれるメカニズムを紹介します。

同情は自分の心の写し鏡「投影」

同情するという気持ちに影響しているのが
「投影」という現象です。

投影というのは、自分の中にある気持ちや感情を
相手にうつしだすことです。

例えば、人に叱られた時に自分は「悲しい」と感じるのであれば
人が叱られているのを見れば「あの人いま悲しいだろうな」と

思うことです。
実際のところその人が「悲しい」と感じているかどうかはわかりません。

また、身体に障害のある人が「かわいそうと思われたくない」と
言っているのを何度か聞いたことがありますが

これは「かわいそう」とたくさん同情されてきたんだなと
いうのが感じ取れます。

「身体に障害のある人はかわいそう(不幸)だ」と思っている人が
障害のある人を見ると、その人に対して

「不幸だと感じているんだろうな」と思うのです。

これも実際のところその人が自分自身のことを「不幸」と
思っているのかどうかわかりません。

つまり、その人がどう感じているかではなく
自分の感情や価値判断を相手にうつし出して

あたかも「その人もそう感じている」という
錯覚をしている状態です。

ちなみに、この投影からの同情の気持ちが湧くのは
「どんな感情もOKだ」と受容せず、

感じてはいけない気持ちがあると思っているからだと
言われています。

例えば、身体の不自由な方や、生い立ちが複雑な方に
「自分の方が優れている」とか「自分の方が恵まれている」

というような優越感を感じたとしても
口に出すのはいけないというように自然と教えられますよね。

その時に口に出すのではなく、
「そんなふう思っちゃだめ」というように
その感情を抱くこと自体がダメだと教えられると

「感じてはいけないと教えられた感情」を
感じるたびに、私たちは自分自身に「そんな風に感じてはいけない」と

抑圧して蓋をしていきます。

この抑えられた気持ちが「かわいそう」というような
違った形に変換されて表現されていくのです。

優越感から生まれる同情

上のは投影から生まれる同情でした。
優越感からも同情は生まれます。

私たちは、人と会うと無意識に相手と自分を比較しています。
これは、本能的にあることなのでみんながします。

ここに人と自分に優劣をつけるという価値判断があると
同情が生まれてきます。

何か仕事でミスをして落ち混んでいる時に

「つらいよね〜。わかるわかる」と言った風に
え、ほんとにわかってるの?と言いたくなるような

薄っぺらい言葉をかけてきたり、

こちらの話もあまり聞かないままに
アドバイス(という名の自論)を展開し始めたり。

ちょっと上から目線の対応を
取ってしまいがちになります。

「この人は仕事でミスをする人、自分は大丈夫」
という憐れむような心の根幹があり、

簡単に言えば、同情と一緒に
「自分の方が立場や能力が上」という

上下の関係性が生まれています。
(本人は全く気づいていないと思いますが)

アドバイスも相手の悩みや気持ちに寄り添っているのではなく
「自分ならこうする」「こうするのが正しい」

というような自分目線なものが多くなります。
相手の悩みそのものではなく「良いことを言っている自分」が大事だからです。

本当のところでは相手のことはどうでもよくて
自分の欲を満たすために上から相手を評価しているので

同情された側は
見下したように見てくるなと感じて嫌な気持ちになるんですね。

罪悪感から生まれる同情

罪悪感からも同情は生まれます。

例えば
自由奔放に好き勝手に過ごしてきたけれど
急に家族が重病を患って看病が必要になった

というときに
「自分が好き勝手して心配をかけたから病気になったのでは」
と感じる気持ちです。

自分があのときこうしていれば、これをしなければ、
もっと自分が気をつかえるところがあったのではないか・・・

と自分を責める気持ちが同情を生み出します。

「ごめんなさい」と感じる気持ちを
償うかのように、必死で看病をしたりするんですね。

このような場合は、今目の前にある事実を受け止められない、
認めたくないという気持ちから生み出されたりするのです。

家族が病気になったことを
事実として受け止めると、罪悪感を持つ必要がないので

償いではなく、思いやりの気持ちが生まれてきます。

怒りから生まれる同情

喜怒哀楽という言葉があるように
「怒り」という感情は私たちが生まれ持っている感情です。

でも大抵は、怒りを感じてもそのままに
周りに当たり散らさずに

うまくコントロールしながら暮らしていますが、
抱え込めないぐらいの怒りや

耐えられないこと、我慢できなかった時に
反射的に周りの人に発散してしまうことがあります。

暴言を吐いたり、暴力を振るったりです。

ですが、私たちは周りの人に怒りをぶつけると
大抵は

相手の関係が壊れるんじゃないか、
相手を傷つけたんじゃないか、

というような気持ちになり、
罪悪感を感じます。

怒りをぶつけたのは自分なのですが、
「相手にかわいそうなことをした」
「あんなに傷ついていたら、かわいそうかもしれない」

というような感情になったりするのですね。

相手をかわいそうなことをされた存在にして
謝ったり、労わる気持ちを持つことで

自分のしたことを受け止めずに
償なって自分を保とうとするのですね。

同情は「相手の境界線」を踏みこえる

共感は相手の感情に寄り添うこと
同感は相手の話に賛同すること
同情は相手に憐れみの目を向けること

今まで書いてきたことを
ざっくりまとめるとこういう感じです。

同情心から相手に対して「どうにかしてあげたい」
「助けてあげたい」と湧き出る気持ちは大抵

・自分が気持ち良くなるためにアドバイスをする
・自分がいい人でいるために相手の世話をする

というような自分本位の行動になるのですが、

これは相手の境界線を踏み越えて行動することになるので
相手の自尊感情を傷つけてしまいます。

同情の中には、「私ってかわいそうでしょ!」と
相手の同情を誘って、境界線をこえさせようとしてくる人もいます。

(属にいう”かまってちゃん”ですね)

どちらにせよ、同情は建設的でお互いを尊重した人間関係を
築いていくのは難しい関わりなのです。

境界線とは

境界線というのは「私」と「あなた」を区別して
自分の問題(責任)と相手の問題(責任)を

きちんと分けることです。

例えば、目の前にいる友達が不機嫌だとしても、

不機嫌なのは友達の問題で、
自分が不機嫌なわけではありませんね。

(自分が明らかに謝罪しなければいけないような
場面は別として)

境界線が曖昧だと、
目の前の友達と自分の感情の区別がつかず

・友達が不機嫌なのは、何か自分がしてしまったのだろうか?
・友達が不機嫌だから、なんとかしなければいけない。

というようなことを感じて、
相手の問題や感情に責任を取ろうとしてしまいます。

・お前(相手)が不機嫌だから、こっちまで不機嫌になった!

と、いうのも境界線を引いていませんね。

これは、
「不機嫌に感じている自分をどーにかしてほしい」

という
かまってちゃんタイプです。

ことわざに
「馬を水辺に連れて行くことはできても、
水を飲ませることはできない」

というのがあるのですが、
まさしくそうで、

人に対して、
・どれだけ親身になって話を聞いても
・どれだけ愛情を注いでも
・どれだけ手厚いサポートをしても

相手の問題を決めてあげることはできないし、
相手の代わりにしてあげたり、生きてあげることはできないんですね。

それは「相手の問題(責任)」だからです。

ですが、境界線を曖昧に、
「なんとかしてあげなきゃ」「助けてあげなきゃ」
「助けてもらわなきゃ」

みたいなことをするのは言ってみれば

「なんで水飲まないんだーッッッ!」

って首根っこ取っ捕まえて
口元に水を無理やり持ってったり、

「なんで水飲ましてくれないんだーッッッ!」

って相手の首根っこ掴んで
水を飲ましてもらおうとしたり、

「いらない」って言ってる相手に
「なんで?なんでいらないの?必要でしょ?ねぇねぇ」

って押し売りしたり、

「あなたの問題だよ」って言ってる相手に
「なんでこれしてくれないの?必要なんだけど、ねぇねぇ」

って迫ったりしているようなものなのです。

されてる相手からすると
自分のことを全く尊重されていません。

文字にするとそんなことしないわ〜って
思うんですが、

実は境界線が曖昧な人は多くて
境界線をこえる人、侵入を許している人

お互いに無意識なことも多いです。

境界線をしっかり守るには
日々の意識と

どんな自分も自分で受け入れて
自分自身のことを誰よりも自分が尊重して、

大事にすることが大切になります。

共感力をUPするには??

共感力

さて、ではでは
実際に共感力を上げていくには
どうしたら良いでしょうか?

やはり最初は「意識」をする必要があると思います。

自分の心のあり方を見つめ直すのも大事ですが
今すぐ実践していけるスキル的なポイントを紹介していきます。

最初は難しいものがあっても、
意識しているうちにできるようになっていきますよ♪

相手の立場に立つ

先に紹介した「認知的共感」に近いものですね。

「自分がもし、相手の立場だったら」
と相手の立場、視点から物事を感じとることです。

もし、相手と同じ職場だったら
もし、相手と同じ家に生まれていたら
もし、相手と同じ体験をしたら

と、相手の立場に身を置いて話を聞くことで
相手の話していることや感情が、より感じとりやすくなります。

相手の思考やイメージを受け入れる

これは相手の世界観を尊重するということです。

例えば朝起きて外を見たら、
太陽が照って快晴でした!

という場面。

自分と友達にとって共通の事実は
「今日は太陽が照って快晴だ」です。

でも快晴の空を見て感じることは違います。

自分「思いっきり走って、たくさん汗かいて気持ちいい!ってなろう〜」
友達「すごい晴れてるから日焼け止め塗らないと焼けちゃう〜やだな〜」

などなど。

自分→たくさん走って気持ちいいイメージ
友達→日焼けが気になるので嫌なイメージ

これが10人いれば、
10人ともそれぞれに違うことを感じています。

なので、
自分が友達に共感するとしたら、

快晴の空のイメージを

自分→日焼けが気になるので嫌なイメージ
友達→日焼けが気になるので嫌なイメージ

に寄せていきます。

もちろん、自分の持っている
たくさん走って気持ちいいイメージも
かき消さずに持っておきます。

横に並んで、同じ方向を見てみるんですね。

相手の感情を意識して想像する

相手の立場に立ち、
思考やイメージを寄せて

そして、相手はどんな感情を感じているんだろう?
というのを意識して想像して見ます。

ただ、あくまでも想像なので
相手がそう感じているかは別の話。

相手の気持ちに意識を向けることで、
寄り添って共感しやすくなるのです。

相手の言葉を反復する

自分の価値観を混ぜずに話を聞くというのが
ちょっと難しいと感じる場合は

相手の話を繰り返すことからやってみます。

相手が「悲しい」と言ったら、「悲しいんだね」
と繰り返すのです。

「○○なんだね」は

いつも返答の時に自分の主観を混ぜている人は
違和感があるかもしれませんが、

まずはやって見てください。

表情や態度に注目する

相手の表情や態度、
そして聞いている時の自分の態度も

意識して見ましょう。

表情や態度は実は口よりも物を言います。

私たちは実は言葉を交わすコミュニケーションよりも、
非言語のコミュニケーションを多く感じ取っているんですね。

極端な話ですが、話している時に
しかめっ面でそっぽを向かれると話したくなくなりますよね。

「ちゃんと聞いているよ!」と
いくら口で言ってたって

相手がずーっとスマホをいじっていると
だんだん話す気が失せてきませんか?

聞いている時の態度もそうですし、
話している時の相手の表情にも注目です。

楽しそう?不満そう?怒っている?悲しそう?
などなど。

話の内容に合っているかも意識します。

それだけで相手の感情の変化を感じ取れることも
たくさんあります。

共感の気をつけポイント

共感ポイント

よーっし!じゃあ今日から
相手の話に共感するコミュニケーションを

していくぞー!って時に
陥りやすいポイントを紹介します。

相手の感情を決めつける

相手に寄り添う
相手の気持ちを想像する

などを意識すると、
「こういう気持ちなのかな」と思うことが
たくさんあると思うのですが、

落とし穴がここで、その感じた気持ちが
「相手は絶対そう思っている」と決めつけて

そのまま話を聞いてしまったりするんですね。

「きっと悲しいと思っているに違いない!」
「きっと怒っているに違いない!」

っていうように。

共感の話の主役は相手。
そして私と相手は違う人だから「わからない」が
大前提ですよ〜っ

だから、寄り添って、想像して、
相手に聞くのです。

相手の感情は相手にしかわからないのです。

一緒に問題にのめり込んでいく

共感は確かに相手の気持ちに寄り添い
あたかも自分のことのように感じることですが、

でも!しっかり境界線は引いておきましょう。

相手の感情や問題は相手の領域
私の感情や問題は私の領域

相手の話を通して、自分も同じように感じながらも
一緒になる必要はありません。

例えば、友達がいまものすごく
悩んでいて苦しい友達の話を聞いても

その苦しい気持ちに寄り添うだけで、
自分も一緒になって苦しい〜ッてなる必要はないんですね。

苦しいと感じているのは相手。

その感情に巻き込まれては、苦しいと感じる人がただただ2人に
増えてしまっただけで、何も解決しません。

巻き込まれずに、相手の話を
ただ共感して「聞くだけでいいんです」

共感している自分に酔いしれる

共感して話を聞きこうとして
相槌を打ったり、表情に気をつけたりしていても

相手の話を聞いてなかったら意味がありません。

というか、それは
「相手の話に共感している自分」に

酔いしれているパフォーマンスの共感です。

「いま私、めっちゃ人の話聞いてる〜!」
って・・・・

全然聞いてないですよね(笑)

スキルとしてただ共感するだけでなく、
しっかりと話に集中して

表面だけでなく心から相手の話を聞きましょう。

共感力の源は親との関わり

共感力親

共感力は大人になってからでも
伸ばしていけますし、意識することができます。

ですがやっぱり、子どもの頃に両親がどのように関わってくれたか?
というのがコミュニケーションの基礎にとても影響してきます。

共感された体験がない人が
いきなり、共感して話を聞いてください

と言われても、「?」ってなりますよね。

自分の知らないことや理解できないことを
人にするのは無理があるんですね。

親にたくさん共感してもらって育った子どもは、
「他人は自分のことをわかってくれるんだ」

という大前提ができるので
たくさんの人と関わることに躊躇しなくなりますし、

周りの人にも自然と共感する関わりをしていけるんですね。

どんな自分でも良いという自尊感情

自尊感情は条件付きではなく、
「どんな自分でもOK」だという自己肯定感です。

自分のことを条件付きで肯定していると
その条件がなくなってしまうと自分の価値を見出せなくなります。

条件というのは、お金、学力、成績、容姿など
周囲からの評価のことです。

お金があったら、勉強ができたら、
スポーツができたら・・・

何かがあるから、

自分は必要とされ、認められていると
感じているのが条件付きの自己肯定です。

自尊感情は、条件なしで自分のことを
肯定しているので、条件には左右されません。

もちろん、自分のどんな感情も認めることができています。

自尊感情が低いというのは、
自分に自信がなかったり、自己否定が強い状態です。

特に、「いい子」にならなくてはいけない環境で育ってきた子どもは
自分の感情も否定してしまっていることが多くあります。

ここでいう「いい子」というのは
親や周りの人にとって都合の良い子のことです。

聞き分けがよく、なんでも親の言う通りにするし、
頑張り屋さんの子が多いですね。

「いい子」に育てられた子は、
自分の中に出てくるネガティブな感情を否定する傾向があると
言われています。

人に怒りを感じてはいけない、
人を羨ましがってはいけない、
人に恨む気持ちを持ってはいけない、

寂しいと言ってはいけない
悲しい顔は見せてはいけない
人の前で泣いてはいけない

などです。

また、このように育てられなくても
人は不快だと感じる感情は感じたくないと思う人は多いので

反応的に不快な気持ちには蓋をする癖が
ついている人もいます。

ちなみに、
快の感情が良い、善。
不快な感情が悪い、悪。

ということはありません。

感情に良い悪い、善悪はありませんし、
快と不快も感じている人の判断基準です。

例えばですが、友達のおもちゃを壊してしまったけど自分じゃない
と誤魔化したときに

素直に謝らずに嘘をついてしまった・・・と罪悪感を感じれば不快の感情ですし
良かった。ばれなかった一安心と思えば快の感情です。

自分自身を尊重するとは?

ネガティブな感情、ポジティブな感情
考え方、捉え方、経験、なんでもそうですが

「自分が感じたこと・体験したことをなかったことにする」
というのは自分自身を尊重していることにはならず

自己虐待をしていることになります。

どんな自分でもOKという状態になるには
快、不快に関係なく、
全ての感情を受け止め、認める必要があります。

感情を感じることは問題ではありません。

自分自身の感情を適切に消化できずに

そこから生まれる行動(暴力、いじめ、人への中傷)や、
身体への症状(頭痛、慢性的な疲労感、無気力感など)が出ることが問題になります。

極端な話、「あの人が妬ましい」という気持ちも感じて良いのです。

ただ、その気持ちを消化できずに、その人を中傷したり、いじめをする
というような「行動」にうつしてしまうことが問題になるんですね。

自分自身に対して、どんな感情も感じてOKという許可が出ていると
自分や人の感情に対して、良い悪いといった価値判断をせずに

ありのままに受け止めて認めることができるので
自然と共感した関わりができるようになっていきます。

今日から意識すれば「共感力」は身についていく

共感

人はみ〜んな違っていて当たり前で

身近な存在の夫婦や親子も、違う人格を持った人同士なので
違う価値観を持ち、違う感性を持っているのが当たり前で

「自分と旦那」、「自分と子ども」という
境界線がきちんとあります。

ついつい近くにいると
「わかってくれて当然だ」というふうになりがちですが

だからこそ夫婦でも親子でも
相手の気持ちを知ろうとする努力や

価値観や感情を尊重して関わっていくことが大切なんですね。

共感は信頼関係を作り
夫婦間や親子の間に絆を生み出すコミュニケーションです。

今日からでも全く問題ないので
ぜひ意識して見てくださいね。

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ABOUTこの記事をかいた人

SmileHouseスタッフの妙加(たえか)です。 仕事に追われつつドタバタと記事を書いていますが、がんばって子育てに役立つ情報を更新していきたいと思っています。 最近はランニングとあんこと半身浴にハマっています♪